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このやっかいな、

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初音ミクは誰のもの?どこにいるの?〜初音ミク初体験で思った事

初音ミク初体験したときの感想。JOINALIVEで初めて見て、面白さのあまりTwitter連投していた。

 面白いなと思ったら、ブクマとかtweetしていただけると励みになります。

ガチ勢に囲まれでドキドキの中ステージが始まった

7月18日の土曜日、毎年行っている夏フェスJOINALIVEで初音ミクのステージを初めて見た。

北海道にゆかりが深いことは知っていたし、VOCALOIDという文化mの盛り上がりがあるのも知っていたけれど、見るのは初めてだった。

屋内のステージで行われるのだけれど、このステージはしばしば入場規制がかかる。なのでSPITZに後ろ髪を引かれながら、開始前10分前に入場した。

入場すると後方の椅子席は満杯で、空いているのは前方の立ち見エリア。スタッフから「出来るだけ前に行って下さい」のアナウンス。

ステージ間近の最前列には緑の光る棒を持った御仁たち。立ち見席後方には「ブシロード」などの文字が入ったTシャツを来た人がいて、「最前列頑張れよー!」のかけ声。

ギリギリにやってきた興味本位の人たちと強ヲタ・ガチ勢が混浴状態で、カオスになりそうな予感。

自分はこの温度差の中頑張れるのだろうか⋯。ちょっとドキドキしていた。

うわ、実体感が凄い。

ドラム、ベース、ギター、キーボードの生バンドがいて、中央には透明なスクリーンが立っていた。

音楽が始まるとスクリーンに光の粒が現れ、集まってミクになっていった。その演出におおっとなり、ミクの綺麗さと存在感に驚いた。

フロアのモニタスピーカーに足を乗せるところは、モニタが本物なのか、モニタも含めて映像なのかよく分かんなかった。それほど、実体感があった。

ガジェット好きでIT好きなので、最初は技術目線で感心して見ていた。

特に実体感があると感じたのは、地面に足を付けたときの身体全体の反作用、跳ね返り。身体全体の揺れが表現されているので、ミクの身体に「重さ」を感じることが出来た。そして重すぎないところも良かった。あれ以上の重さを表現すると、ミクらしさはなくなってしまうのかもなあ、なんてミクの文脈も知らずに考えていた。

ほころびが無いところが逆にリアリティ欠如だと思うほど、音と映像はシンクロしていた。

曲も全て初めて聞くものばかりだったけど、どれも楽しめた。良い曲だなあと持って聞いていた。残念ながら歌詞は聴き取れなかったけど。

曲の変わり目で幕間もなく衣装チェンジしちゃうあたりさすがミクだなあ、なんて思っていた。あれは生身には出来ない。その上、空は飛べるわ、形は変えるわ。

全体を見たくて一段高い場所に移動した。そこにも緑棒勢はいた。

いったい何に向けた声援なんだろう?という疑問

きっとみんな思うことなのかもしれないし、言い尽くされていることなんだろうけど、「プログラムされたものに声援を送るのってどんな気持ちなんだろう」って考えてしまった。声援の先にいるのはエンジニアのオッサンじゃんって。

ここのブログで書いてるけど、自分は良い歳になってから「ももクロ」のファンになった。最初はそんな自分に戸惑っていたが、やがて吹っ切れて、ライブでは光る棒を振り回して声を張り上げている。だから余計に初音ミクの場合どうなんだろうって考えた。

自分にも同じ要素はあるのに、違うと感じる部分もある。そのグラデーションはどこで潮目が変わるのか、何が一緒で何か違うところがあるのか。

生身のアイドルなら、声援の先には声を聞いてくれる対象が存在している。けれど初音ミクの場合、対象は実体ではない。

声援を送ったからといって生身のアイドルやアーティストと違って、相乗効果で盛り上がっていくわけでもない。

AIならばそういうやりとりも可能になるかもしれないし、人格だと考えられれば感情移入できる気がするけど、ミクはAIじゃないし…。

初音ミクの羽根。

それをさらに感じたのは、羽が生えた演出の時だった。

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光る棒を持った人たちが一斉に沸いた。自分はすごく冷静だった。湧いたこととに驚いた。

光の粒が実体化した登場シーンは映像的に目を惹いたけれど、羽根を生やすって見た目にはさほどだし、やろうと思えばそんなのなんでもありじゃん、って思った。

でもTwitterで感想をつぶやいていろんな反応をもらったり見ている内に、ちょっと自分なりに腑に落ちた。

ファンはまた違う考えかもしれないけど、「さあはじまるよ。盛り上がるよ」っていう合図なのかもしれない。

ももクロで言えば、「おっ、『未来へススメ!』やるんだ!」みたいな気持ちなのかも。というよりは、杏果が手袋付けたときの感じか?「Words だ!」みたいな。れにちゃんの咳?。

よく知らないくせに例えるけど、プロレスで言えば大技を掛けるときに手を掲げるようなもんかも。トップロープに登ったときみたいなこと?

ミクに詳しい人からすればもっともっといろんな意味があるんだろう。

実体がないからこそ、誰のものでもないのかも。

生身のアイドルの場合、対象が目の前にいるこっちを見てくれたり反応を返してくれる(レスをもらえる)。

でも生身のアイドルの場合、レスを返してくれるかはお金や運に左右されるところがあるようにおもう。

熱意と時間をかけて、もちろんお金掛けて通っていれば、“いつも現場に来てる”と覚えてもらえるかもしれないしレスの確率はあがる。

けどそれって、運に左右されるところもあるんじゃないか。

その上、対象に認知して欲しくてレスをもらいたくて目立って覚えてもらおうとして、禁止行為をするファンも中にはいる。

ファン同士の間で恨みねたみそねみが生まれることだってあるだろう。他の人がレスをもらって自分がもらえなかったら羨ましいし。

でも初音ミクの場合、レスもくれないし接触の機会もない(あくまで今のところ、かもしれないけど)。

実体じゃないから、妬み嫉みは生まれにくい気がする。“彼女”との繋がりの強さは、ファンその人が持っている気持ちに純粋に比例するのかもしれない。

恨みや妬みがなくて平等だから、ミクとファンを繋ぐ線は絡まりあわずに、ミクを中心においてファンが真円を描けるのかもしれない。

… なんてことを考えて見ていた。

実体じゃないしレスもくれないから、一瞬たりとも誰のものにもならない「自分だけのアイドル」になるのかも。

これってアイドルとしては理想的な一妻多夫制なのではないか?なんて、あれこれ頭を巡っていた。

そんなことを感じさせてくれるミク体験が面白かった。

作り手と受け手の信頼関係

Twitterで教えてもらったのだけれど、初音ミクは受け手が作り手でもあるんだって。

確かに、「歌わせてみた」とかはたくさんあるし、ボカロP(プロデューサー)といって、自作の曲を公開していたりもする。絵を描く人もいるし、演奏する人もいるし、PCのアプリを作る人や電子工作をする人も。作り手と受け手の境界はグラデーションだということらしい。(参考)

実体のない初音ミクファンタジーを一緒に成立させようという合図があの羽根。もっというと、初音ミクの舞台を一緒に創りあげる象徴なのかも。あの場を創り上げるのはファン。ファンタジーを一緒に創り上げるファンのことを作り手(送り手)も信じているから出来ることなんだなあって思った。

ライブの最後の曲は、他のロックバンドと同じようにボーカルがバンドメンバーと呼吸を合わせて演奏を締めくくっていた。その時のシンクロ感がとても気持ちよかった。

ファンタジーの儚さと輝き

そしてこのライブと、Twitterで発信したこととそれに対する反応と、そこからまた考えたこと全部をひっくるめて、初音ミク初体験はとても楽しかった。

初音ミクは受け手がいてこそ成り立つファンタジーであり、受け手がいなけりゃ何も始まらない。受け手は作り手でもあるらしい。

実体がない分、自由度が高い。作品は発表した瞬間から受け手のものだとはよく言われるけど、ミクはもう受けととか作り手とか超えていて、ミクは関わる人の「あいだ」を瞬時に絶え間なく移動して存在しているように思えた。

自分だけのものでみんなのものだから実体はいらないんだ。実体がないからこそ「みんなのあいだ」にいられるのかもしれない。(その時の自分のTwitter)

ファンタジーってのはやっぱりどこか儚さをもっているから人を惹きつけるのか。手で触れることは出来なくて、信じていないとだめで。それが凝縮されていた気がした。

ファンタジーの共有力と、人との共感力

初音ミクを見ているうちに、「ファンタジーの共有力と人との共感力」について考えてはじめてもいた。

一般的にオタクは人付き合いが下手で人との共感性がないっていうふうに思われている。

けれど、ミクというファンタジーを共有する力がこれだけあるのに人との共感性にはつながらないんだろうか、とか、ファンタジーの共有と共感性は似てるように感じるけれど別物なんだろうか、とか。

 

そんなことを職場の50歳を超えたネットやオタクカルチャーには縁の無い「一般人」女性に話したら、「ふつうの人はそんなにファンタジーに入れ込まないかも。映画とかドラマとか、つくりものだって分かっていればその構えで見るけど」っていわれた。

ああ、そういえばそうかもしれない。2014年のフジテレビ27時間テレビSMAPドラマのTwitter感想は、リアルなのか虚構なのか戸惑っていた。「一般人」はリアルとファンタジーの境目がないドラマが苦手なイメージがある。

となると、オタクは自分と人との間に共通の「第3の存在」があると強く繋がれるのか?。

オタクは人と直接つながるのがなんか圧を感じてしまうので、共通の好きなモノを間においてつながる。オタクはファンタジーにハマれる力があるし、ファンタジーを共有して人とつながっている。

自分と相手が直接向かい合うんじゃなくて、初音ミクを間においてV字のように(線の端が人で、線の折れたとがったところが対象物)つながる方が楽なのかも。そしてそれは、Vから円になっていくかもしれない。Vの折れ曲がった部分を中心に何個もつなぎ合わせた  みたいな形に繋がれるかも。

単なる思いつきから思いを巡らせたので、とんでもない誤解をしているだけかもしれないけど、そういうことまで考えたことも含めての初音ミク初体験だった。

自分の感想をTwitterでつぶやいたこと、そのRTやリプライやRT先の反応など、全部ひっくるめて楽しかった。初音ミクの作り手ではないけれど、発信したからこそ得られた楽しさだった。