このやっかいな、

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パリコレとコント。キングオブコント2015感想。「芝居」や世界観がリズムや音楽に負けたわけではない。

芝居やストーリーのコントは死んだのか? キャラとリズムにかき消された?

今頃だけれど、キングオブコントの感想をつらつらと。

設定と展開。大喜利の答えの面白さと、その後拡げたイメージの面白さ。パリコレのデザインから考える。

 

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KOC直後このブログがはてブ人気エントリーになっていました。"キングオブコントは死んだ - 僕が本当に面白いと思うこと。 キングオブコント2015"。

コメントを見ると、お笑いファンとテレビ好きのギャップが垣間見えます。

ユウキロック氏のこんなtweetも見ました。

いろんな方に準決勝の話を聞く。コロコロチキチキペッパーズとバンビーノは受けが飛び抜けて良くなかったらしい。しかしこの結果。ライブシーンとテレビのズレ。滑稽だがわかりやすいネタ。そして「個」の強さ。極論だが「お芝居」のKOCは終わった。

プロの言うことだし、括弧付きの“「お芝居」のKOCは終わった”という言葉にどんな意味があるのかを完全に理解することはできないけれど。

たしかに今回KOCは、芝居やストーリーに光が当たらなかったように見える。芸人が審査しなくなり、番組の質は変わったかも知れない。

でもお笑いをマニアックに見る自分にとっても、番組として面白かったし、コントも面白かった。

 キャラとリズムに芝居や展開がかき消されたわけではない。

自分はややマニアックなお笑いファン。

自分はただのお笑いファン。素人がプロの技にごちゃごちゃ何を言ってんだって話だけど、見る側として思うところはあるわけなので、評論したいと言うより、あくまで自分の好みです。

どっちかと言えばマニアックにお笑いを見る方。地方だからあまり数は見られないけど、好きな人の単独ライブには行っている。

残念ながら終わってしまったミレニアムズで言えば、キャラものやギャグものよりは、ねたみやそねみが見え隠れするものが好き。

年齢を重ねてきて、昔はいじめっ子感が強くて楽しくなかったとんねるずも面白がれるようになってきた。

松本人志が大好きなので、ベタなものよりは発想が凄いと感じさせるものやシュールなものを求めるような体。

ラーメンズも好き、って言っちゃうと、ああって思われちゃうかも知れないけど、ばかばかしいのも好き。最近になって王道やベタや団体芸の凄さが分かってきたように思う。

好きなコント

自分の好みとしては、設定がしっかりあって人物の関係性を踏まえてストーリーが展開していくコント。

今回そういうネタは少なかったように思うが、自分の求める「展開」というのはストーリーに限ったことではない。そのネタの設定世界の中で展開していくのも面白い。ストーリーや芝居だけを求めているわけではない。

そうはいってもKOCで言えば2009年にチャンプになったときの東京03のネタが自分の好み。

仲の良い友だちの女(豊本)と飯塚、角田の3人で温泉旅行に来るが、角田が豊本演じる女性に告白してしまい、フラれてギクシャクしてしまうというネタ。

「何で初日に告白するんだよ!まだ3日もあるんだぞ!」という飯塚のツッコミは、その状況で魂の叫びとしてしっくりきてカタルシスが大きかった。

関係性やストーリー展開もありつつ、テンポも良い。テレビサイズとしてチューニングを念入りにしたんだろうと勝手に考えている。

審査することをコンテンツに据えたKOC 2015

テレビ番組としてキングオブコントを考えると、実際に浜田と審査員のやりとりは面白かった。

審査員があの5人と発表されていることで期待感も上がって視聴率が良かったのかも知れない。

審査をすることの難しさと厳しさ自体をコンテンツとして見せたのが今回のKOCだったのでは、と思っている。松本が「難しいよね。漫才より差が出ちゃう」って言ったけど、このセリフにこめた芸人なりの演出を差し引いて考えても、漫才コンテストよりコントの方が審査は難しいのだろう。と素人ながらに考えている。

去年までのシステムでは決勝に上がれなかった参加芸人と松本・浜田とのやりとりが見所の一つだったけれど、今年は5人に限定されていることで、「浜田 vs 審査員 のやりとり」という軸がさらに際立っていて楽しかった。

松本は別にして、M-1THE MANZAIで審査員を務めた大竹以外はコンテストの審査員は初めての経験。松本はすでにレジェンド的立ち位置だけれど、他は松本との比較では“中堅”(と言うにはベテランだが…)ポジション。

松本に加えて、さまぁ~ず、バナナマンというテレビの現役プレイヤーだけで審査員を構成したことで緊張感は増した。テレビの今が切り取られる配置がされていたように思う。

 

一応得点表。色は審査員別に、太黒字と赤字は番組全体を通しての最高と最低。色セルは1回目、2回目別々での1位〜3位。

こう見ると、設楽は他の4人と少し違う基準で見ているかも。

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総合格闘技としてのコント

松本が開始早々「難しいよね。漫才より差が出ちゃう」と言ってた。ジャンポケのネタの後、「ネタ(の方向性)も違うし、まず人数が違うからね」と冗談ぽく言っていたけど、コントを審査する側の本質的な難しさを表現した一言だったようにも思う。

ピン芸コンテストのR-1ほどではないのかもしれないけれど、漫才に比べればかなり「バーリトゥード」(何でもあり)的なのがコントなんだろう。

芝居、ストーリーのコントは死んだのか?

今回のKOC、審査方法も変わりストーリー重視のネタ・コンビが選ばれなかったことから、これまでのキングオブコントの終焉だと言う論調もあるけど、僕はそうは感じなかった。

確かにストーリー重視のネタが評価されていなかったけれど、そのネタのストーリー展開自体がきちんと構築されていなかったからだと思っている。

たとえば、さらば青春の光の「芸術家」ネタ。

薄っぺらい兄が笑いどころなのか、狂気の方向が間違っている兄を笑うのか、よく分からなかった。 芸術家を目指す兄のセリフが薄っぺらい。一枚も描いていないのだから“薄っぺらい兄”というネタなんだけれど、それにしてはツッコミが普通すぎて楽しくなかった。

狂気にとりつかれているようなセリフもステレオタイプ的だなあと感じた。狂気にとりつかれた人だと見せたいのか、薄っぺらい人だと思ってもらいたいのかが分からないと思って見ていた。

でもネタの構成としては薄っぺらい兄である必要がある。

兄のセリフは確かにエスカレートしていくのだけれど、底の浅さが分かっていく過程があるわけでもないので、どう見たらいいかわかりづらいなあと感じた。

兄のキャラクターが不明確なので、セリフ上の展開が関係性の上で生じる展開に繋がっていないなあと思った。

その時、その人、そのセリフがハマっているか。=「妥当性」があるか。

東京03の飯塚が「その役の人が言わないセリフはツッコミのセリフにしない」という原則で台本を書いているという話を聞いたことがある。

自分の好みがそこにあるので、アキナやさらば青春の光のネタは、セリフがその状況にぴったりはまっていなくて楽しみきれなかった。

アキナの「鳥」ネタ。

「エンジンかかるのが遅い」という審査員の発言は、スピード感を求めて言っているわけではなく、必要性があったのかということをいっているんだと思ってる。その待ち時間が必要なのかどうかって事だと思う。

最初の笑いを生み出すまでがその笑いにきちんと繋がって一つ一つ積み上がっていけばいいんだけれど、そうは思えなかった。

始まってしばらくの間、ライブに行きたかった側(山名)は状況を説明していた。1人で説明セリフを言っているので、ペットの飼い主(秋山)とのやりとりが生まれない。結果的に構成上の「動き」が少なくなる。

お互いのセリフや芝居を含めたやりとりで見せてくれれば、一つ目の笑いが遅くてもワクワクしながら見られたのになあって感じた。期待感が上がっていかなかった。

ペットの飼い主に付き合ってライブをキャンセルしたという状況にあまり納得できないし、かといってライブに行けなかった山名側に共感できず、この世界に入り込めなかったのもある。

あり得ない状況のコントは他にも山ほどあるけど、何かしらその嘘を信じさせてくれないとファンタジーに乗れない。自分にとってアキナのネタは嘘をファンタジーとして受け取れなかった。

さらに、インコみたいなトリを「鳥は食べ物です」と言われてもあまりしっくりこなかったので、その後「ボンジリ」というフレーズも自分にとっては笑いどころにならなかった。

高評価のネタに、関係性を見せる芝居やスートーリー展開がなかったわけじゃない。

コロコロチキチキペッパーズ。人物像もくっきり、展開もしっかり。

坊主の人(ナダル)の風貌と声のギャップがすでにキャラクターとして強烈だった。

2本目の決勝ネタは西野が目を引く声と動きをしはじめたので、2本だけで違うパターンを見せられ、それまで知らなかったコロチキのことが立体的に見えたように感じた。

妖精(ナダル。役名はリオン)は「泣いたら天空に帰らなきゃいけない」という設定。子ども(西野。役名はたかし)が泣き始めるとお客さんがもう笑っているし、自分もそうだった。形としてはこれの繰り返しなんだろうなあということは容易に想像が付いたのに、とにかく面白かった。

3回目の登場場面で、子どもが妖精に近づくだけでこっち(客)も「あっ」ってなっていた。毎回の展開がテンポ良く畳みかけられ心地よかった。

分かりやすい設定でずっと笑いを起こし続けるってもう最強だとおもう。ドリフに通じるというか。

演技のディティールもあったので、この世界を違和感なく楽しめた。

ナダルは2回目に舞い降りたとき、後ろを振り返って驚いた感じを出す。2回目に泣かれたときにはちょっといらっとしてみせる。天空を意識していたり、子どもに対する感情を見せていたり。

こういうディティールをきちんと積み上げて人物像が見えていた。自分はこういうコントが好みだ。

妖精の感情をこうやって積み上げて見せているからこそ、3回目の登場場面で子どもが「僕は強くなったんだー!」と叫んだときに「なら良かった」とすこし格好付けて妖精が言うだけで笑えたんだろう。

ロッチ1本目。キャラクターと状況とセリフが見事にはまっていた。

ロッチの1本目は設定がどうとか超えていて、同じことの繰り返しが面白かった。

中岡というキャラクターが認知されているからこそだけど、そのキャラ+力の抜けた返事+あのポーズの組合せが綺麗にハマっていた。

バナナマンが1回目のKOCで見せた、朝礼で立っているネタ。設楽が日村にちょっかいを出し続けて先生に怒られることを繰り返すだけのネタ。膝カックンしたり手を上げさせたり。ロッチのネタを見ていて、これを思い出した。

話の流れが大きくあるわけじゃないけど、人物の関係性が伝わってくるので、そこにある世界や設定にスムーズに乗ることができた。

関係性が見えるかどうか

バンビーノ。受け側の反応

1本目、呪文を唱えるのを犬が邪魔する。魔法使いが犬を愛しているのは分かったんだけど、犬が魔法使いをどう思っているかがあまり見えなかったので、ちょっと残念だなあと思っていた。

2本目。マッサージを受けている側が「結構声出ますねえ」と言われて何も言い返さないのは設定上違和感はあった。あそこで2人のやりとりがあると自分的にはもっと好きなんだけど。

好みとしては、曲の流れができあがる前に1~2度なんか言ってくれたらなあって思っていた。

ダンソンのネタも1本目の魔法使いと犬の関係にも共通しているけど、藤田が演じるキャラクターは受け専門なのが、自分的には残念。

ジャングルポケット。キャラの強さ か 展開 か。

1本目は、「親友の彼女と浮気したことは謝って済む問題じゃないから謝らない」とい言って立場を逆転させていくネタ。斉藤のキャラがあるからこそ浮気している側の立場が強くなることが成立するんだろう。

ただ、立場の逆転の展開が「謝って済む問題じゃないから謝らない」の一点だったのが寂しかった。論理がダメなら斉藤の暑苦しさで力技で押し通す手もあるんだろうけど。論理も力技も中途半端な感じがした。

浮気されたおたけと斉藤の間をつなぐ太田がほとんど伝言しかしないのも、展開が少ないと感じた。だからこうした方が良いと思いつくわけもないんだけれど。 この辺りが設楽の言う「3人なんだから話の展開がもうひと山来るんだろうと思ってた」ってことなんだろうか。

2本目。空港に見送りに行きたい部下に対する斉藤部長の気遣いがまったく気づいてもらえないネタ。

これ自体面白いし好きなネタではあるんだけど、斉藤の圧のあるキャラは必要無いように思えて、ジャンポケがやらなくても良いじゃないかと思ってしまう。

2本通じて、「キャラの強さ」でも「芝居やストーリー展開」でもどっちにも振り切っていないように感じた。

ジャンポケはお芝居がしっかりしているし斉藤のキャラクターもあるコンビだけど、今回のネタはストーリーとキャラのどちらも中途半端な感じがしてしまった。

登場人物の関係性が見えてしまえば、多少のことはこっちが埋めてしまうかも。

演技という点では、コロチキ2本目でナダルが一人称を「わい」と言うべきところ「俺」と言い間違っているので、マニア的には「キャラがぶれるんじゃないか」という考えも浮かんではいたけれど、西野の奇異な行動に力があるのであまり気にならなかった。 ナダルの表情と声から相手(西野)を羨望していることが分かるので、関係性も見えた気がした。

設定と展開。「頭で考えて面白いやつ」と「見てて笑っちゃうやつ」

うしろシティ(ゲートボール中に悪魔召喚)やロッチの2本目(ボクシング世界戦)、藤崎マーケットの2本目(お化け屋敷で親に会う)は、その設定が大喜利の答えみたいなもんで、それだけで面白いと思える。藤崎マーケットはネタばらしまでに多少時間があるけど。その状況設定がすでにかなり面白い。

大喜利の答え」から盛り上がる時

大喜利企画で、ある答えからいろんな発想が浮かんで盛り上がるときがある。

お笑い番組ではないけど、10月18日のワイドナショーで、パリコレで人を着るような衣装が発表されたという話が合った。

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中居くんが「自分の彼女が待ち合わせ場所にこれで来たら…」と言うと、松本が「まずこの子を紹介してくれるかな。この人誰?ってことやね」、「まず改札抜けれないからね」と。 こんな感じで、ある大喜利の答えからいろんなイメージが拡がっていく場面をたまに見るけど、これもまさにそれだった。

「人を衣装として着る」という設定(大喜利の答え)があって、イメージがどんどん拡がっていく。

大喜利の答え」≒設定 を超える展開があるか。

うしろシティのネタも藤崎マーケットのネタも、こういうことあったら面白いよなあって思うけど、その後のやりとりがそれを超えられてない感じがした。

ネタの作りとしてはちょっと違うけど、ザ・ギースのネタもネタをリフォームするという設定・枠組み自体が発想としてニヤニヤしてた。

多分、自分も含めてお笑いファンは、こういった世界観のネタが好きだし、設定を知った瞬間にニヤニヤし始める。オチより先に予想で笑う悪い癖ですが ^^;。

メタネタのギース

「説明ゼリフを加えることでコントの入口を分かりやすくしました」と、ギース自身のシュールネタをメタでツッコんでいて、ギースのネタが好きな自分にとってはニヤリとしたけど、今ひとつ面白味が爆発しなかった。

三村に「笑いどころは少ない」と言われて「痛いところ突いてきますねえ」と尾関が言いながら、高佐は「今年一番の最高傑作コントです」というあたり、自虐ジョークでもあるのだろうけど。頭で考えてニヤニヤはするんだけどなあ。

うしろシティの悪魔召喚ネタ

悪魔が老人の寿命と引き替えに願いを叶える、という設定は面白そうっておもったのだけれど、その後の悪魔と老人の対比が際立ってない感じがした。

大喜利の答えを超えるものがなかった感じ。老人と悪魔の間に緊張感がないというか、そこまでの関係が見えなかった。

うしろシティのネタは、思春期の勢いと気恥ずかしさだったり、ナイーブと雑さが同居している感じが好き。

転校生どうしのネタもミュージシャンを目指している人のネタもそう。

2人は微妙な緊張関係の中にいて、そこに漂う微妙な機微を見せてくれるところが好きなんだけれど、今回のネタはそれが見れなかったので、単純に残念だったのはある。

ロッチの決勝のネタ

これも、“ボクシングのチャンピオンが風邪でずる休みをする” と頭の中で考えたら面白い。けれど、設定の面白さを会話のやりとりで膨らませていってないことにもどかしさを感じた。実際にコントで演じてみると、世界チャンプがずる休みする設定自体にちょっと無理を感じたので、その後のやりとりに入っていけなかった。 頭の中にある「こんな事あったら面白いな」っていう設定だけじゃなくて、それを成り立たせる人物設定や状況設定を用意したり、その後のセリフのやりとりで世界観が積み上げられていくコントが見たい。

結局は、「頭で考えて面白いやつ」だけだとダメで、「見てて笑っちゃうやつ」になってないとダメなんだろう。

圧縮と爆発(緊張と緩和)のバランス

巨匠、板前の足がコンクリートで固定されているっていうネタ。これも設定は恐くて面白かった。

設定バレするまでにしばらく時間があったけど。 発想自体は好きなんだけど、「コンクリで固定されて罰を受ける」ってのはあまりにも「重たい」設定だなと感じた。重たくて気持ちが縮こまった

その後に縮こまった気持ちを解放してくれるものが無かったので、見ててちょっとキツかった。

松本が「この設定で行くならもっと面白くないとだめかなと思う。昔の僕なら好きやったんでしょうね」と言っていた。

設定のパンチ力をその後のやりとりやセリフが超えていって圧縮した気持ちを爆発させてほしかった。緊張した気持ちが解放されなかった感じ。

“動き”

三村が巨匠のネタを見て「動きがほしかったかな」と冗談ぽく言っていた。

体を使って笑いを取るものを求めているのか、とか、足が固められて動かないのに何言ってるんだ、っていう意見をネットで見たけど、自分が感じたのは違った。

板前が言っていることが全部似たようなことだったので、この「重さ」を超えるものがないなあと思っていた。

それを超える展開の動きを見せてくれたら、気持ちがキューってなった分、大笑いしたろうなあって。

やっぱり認められたのはリズムネタ?

バンビーノの2本目、リズムネタ部分が盛り上がって行くとき、大喜びしている女性観客が映っていた。実際に決勝ラウンドだけでいえばこのネタが最高得点。

この場面だけ見れば「コントの大会でリズムネタかあ」っていう“お笑いファン的ため息”を出したくなる気持ちも分からないではない。実際自分もちょっと出した。

フレーズが音素が繰り返す「リズム」や音楽を使っているネタが高評価だったのは、決してコントの「芝居」や「ストーリー」要素が軽視されたわけではないと思ってる。

たしかにストーリー展開で見せるネタで大笑いしたのが少なかったのは残念。

高評価だったネタは、その世界がしっかりあったんだと思う。当日その世界がきちんと表されていたネタが評価されたって事だろう。

三村がバンビーノの2本目で「練習量と面白さが群を抜いてる」と言ってたけど、「リズムネタ」としてあのネタを評価した発言とは思っていない。

マッサージの流れでDJをやるという世界を見せるには、テンポやリズムのズレが命取りになる。総合格闘技としてコントを考えたときに、シンクロ率の高さがこのネタの世界を高い所に持っていったことを評価した発言だと考えている。

ただ自分の好みで言えば、さっき書いたようにもっと関係性が見える方が好きだけど。

音楽のテンポと会話のテンポの違い。

「音楽ネタ」「歌ネタ」をコンテストでやるとネットのツッコミが一気に増えるんだけど、たぶんそれはコントのテンポが音楽のテンポに支配されてしまって空白の時間が出やすいからなんだろうと思っている。

それが藤崎マーケットの時に松本が言った「少し時間をもてあましてたかな」ってことなんだろう。

「神は細部に宿る」。

結局は自分が求めているのは、ディティールによって積み上げられた世界観。

「表情やセリフがハマっているか。それらが積み上げられて世界が作られているか」。評価の高いネタはそういうネタだったと思うし、自分も面白がれた。

前の話だけど、2008年のKOCで2700が「ジョニーマーキュリー」というネタ。ツネがエアで隣の人を見る芝居をするんだけど、その時の視線の向きが人の顔がある位置ではなく椅子の座面を向いていた。

彼らはリズムをどうネタに持ち込むかを追求しているコンビなのだろうとは分かっているけど、その瞬間ちょっと興ざめして残念だなあと思ったのを覚えている。

そのネタの世界(ファンタジー)に連れて行くためには、細部まで積み上げてほしい。そういうネタが大好きだ。

予選と決勝の客層が違うのはなんとかした方が良いんじゃないかとは思う。

コントのコンテストで4分なのはいいのかとかは、審査のあり方はどうすべきかってのは置いといて。

いろんなネタを見れたのは番組としても面白かったけど、予選から決勝をひっくるめたコンテストの構造はなんとかせにゃ、演者側が大変だろうなあとは思う。

決勝戦と予選の客層の違いがこれだけあると、別の大会だと思った方がいいんだろう。 先ほどのこのツイートでは、「準決勝ではコロチキとバンビーノの受けが良くなかった」のだそうだ。明らかに客層が違うって事だろう。

いくら審査員がプロで、ネタのみで審査しようとしても、演者の調子は客席の温度で変わるだろうから、そこだけは何とかしてほしい。

若い女性客とお笑いファンを両方いたらダメなのかなあ。